FC2ブログ

プロフィール

michianri

Author:michianri
せつない 想い…
つたない ことばたち…
やりきれない 心…

『詩片日記…薔薇園…片想い』

第一章『詩片日記』
surrealiste
 hypochondrie
    ~prologue
       灰川道緒

第二章『薔薇園』
     
       鵜沓 綾

第三章『片想い』

       野川美千夫  

カテゴリ

小説ブログ 長編小説へ
            人気ブログランキングへ              

リンク

このブログをリンクに追加する

月別アーカイブ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSリンクの表示

最新トラックバック

最新記事

最新コメント



(c) 片想い…
design by Echizen
photo by mizutama

せつない ラヴレター つたない ことば やりきれない 日々… 


 駅前を歩きながら、わたしたちは手をつないだ。五月の風がふたりをかろやかにした。民家の庭先にあるウチワサボテンを、妹はナイフで切りとり、鞄のなかに抛り込んだ。トカゲの餌だった。今日もトカゲを入れているんだ。じゃ、毎日トカゲはいっしょに学校へ行っているのだろうか。
「ねえ、トカゲを見せてよ」わたしは妹に言った。
「あたし、ねえじゃないわ、あやと呼んで!」妹が怒って言った。
「ごめん…あやちゃん」
「そう、それでいいのよ!」妹はわたしより、もっとはっきりした性格かしら…可愛い!妹の仕草も言葉も、声も、なにもかもすべてが可愛いと思った。
 ずんずん先を行く妹をわたしは追った。妹の歩くスピードはわたしの倍速かった。妹は道を知っていた。なぜだか、わたしを引っぱるようにして、先を歩いた。わたしは自転車を駅に置いてきたことを思い出した…まいっか、妹といっしょだもの、こんなに楽しいし。
 坂道もどんどん妹は登った。わたしはわざと体重をかけて、妹に引っぱらせた。それでも妹は、わたしなんか風船かなにかのように、軽々と坂を引いていった。
「ちょっと、りょうちゃん!…重いよ!」妹はわたしを振り返って、手を離した。わたしは妹にかけていた体重の反動で、後ろにひっくりかえって、尻もちをついた。手のひらが痛かった。妹は笑っていた。そしてわたしの手を引いて起こした。わたしの手のひらをひろげて、めり込んだ小石をはたいてくれた。血が滲んでくると、ぎゅっとまわりを押して、血をふくらませ、吸った。必要以上に吸って嘗めた。わたしは気持ちよかった。
 また手をつないで、坂道を登った。角を曲がるとわたしの、わたしたちのお家だ。母が窓のところから手を振っているはず…角を曲がると、母の姿はなかった。
 玄関を入り、キッチンへ行った。そこにも母の姿はなかった。わたしたちは手をつないだまま、部屋をひとつひとつ開けていった…どこにも母はいなかった。母が買い物?それは考えられなかった。いつも持って来てもらっていたので、その必要はなかった。ではどこに?
「トイレじゃない?」妹のあやが言った。
「そうね…」わたしたちはトイレのドアをノックした。返事はなかった。ドアを開けてみたが、だれもいなかった。開け放たれた小窓から、木々のあいだにお屋敷の屋根が見えた。もしかしてあのお屋敷かも…わたしはそう思って、母のライティングビューローの鍵を見に行った。鍵はなかった。母はあのお屋敷に行ったのだ。わたしたちも行ってみよう…そう心に思うと、すでにあやは、玄関へわたしを引っぱっていた。

スポンサーサイト



 それからは通学のたびに、その子とホームで待ち合わせ、同じ車両に乗り込んで、いっしょに座った。わたしたちが来ると、だれもが座っていた席を立って空けてくれた。譲ったのではなくて、近づきたくなかっただけなのだ。わたしたちにとっては、その行為は嬉しかった。腰と腰をくっつけてこの子と座っていると、なにも会話はしなかったけれど、わたしの心は満たされた。
「…双子みたい」誰かのひそひそ声が聞こえた。
「…ほんとそっくり」
「きもーい」
わたしたちはそんなに似ているのだろうか。いくつかトンネルを電車が過ぎるときに、向かいの鏡になった窓ガラスに映る姿を確かめた。人と人のあいだにわたしたちふたりの顔が映った。その子も顔を上げて、わたしと鏡のなかで視線を合わせた。
 ほんとうによく似ていた。そっくりだった。違うのはわたしよりも長い髪の毛と、セーラー服のラインの色と、スカーフの色だけだった。
 みんなが気持ち悪がるのも理解できた。なにかに映して見ると、その違和感やゆがみや、非相似性が明確になり、心が安定するものだが、まさにわたしたちが今、その逆だった。なんでもない日常のなかで、あまりにも似たものがあると、それはかえって心を乱してしまうことがあるように、この電車のなかであまりにも似たわたしたちふたりの姿は、みんなにとってなにか非日常的で、許せない犯罪のような存在だったのだ。
 わたしたちの一メートル以内にはだれひとり近づかなかった。わたしたちはいつもふたりの空間を専有できたのだ…猿どもめ、きたない面をさげて、きたない口をおっぴろげて、シミのついた下着をわざと見せやがって…わたしはそう思った…いや、そう思わされた…となりの女の子を見ると、わたしを見つめていた。ほほえんでいる。わたしたちはいつのまにか、指と指をからませて、手を握りあっていた。

 ある日の午後、わたしは駅のホームで待っていた。あの子が来るのを。別の高校なので、ここで待ち合わせていた。今日、わたしはあの女の子を家に誘っていた。母に会わせたかったのだ。わたしには妹がいたことは聞いていたが、たぶん亡くなっているとばかり思い込んでいた。この子と遭うまでは、それを疑わなかった。でもいまとなっては、この女の子がわたしの眼の前にいるかぎり、そのことは信じがたいことに思えたのだ。母にこの子を会わせて確かめたかった。すべての事実を。
 その女の子がやってきた。長い髪の毛をなびかせて。その姿は誰かにも似ていた、わたしではない、誰かに…
 彼女は、わたしの腕にそっと触れて、先に電車に乗った。午後の車内はすいていて、朝とは違ってゆるやかな空気が流れていた。いく人かの女生徒たちも、けだるい感じで席に座ってケータイを打ちながら、脚を左右に投げ出していた。
 わたしと女の子は、席は空いていたけれど、ドアのところに立って、ガラスを手のひらで押していた。わたしの右手と、女の子の左手がかすかに触れあっていた。彼女の人差し指には指輪がはめてあった。それはどこかで見たことのあるものだったが、思い出せなかった。
 …でも、わたしたちはなぜこんなにも心が通じ合うのだろうか。ほとんど会話なんてしないのに…わたしの心に、彼女の心が響きあって、いつも重なっていた。わたしには不思議な体験だった。あのシャンデリアに座っていた少女がここにいて、わたしの横にいて、今、小指と小指をつつきあって存在しているのだ。わたしは心からいとおしいと思った。彼女を抱きしめたくなった…ああ、心が振動する…彼女も同じことを思っているのだ…わたしたちは人目をはばからず、ドアの前で抱き合って、キスをした…ああ、なんて気分だ!こんな快感ははじめてだった。電車の揺れと音が、わたしたちを幻想の空間へ運んだ…ああ、妹が見える…お姉さん…ああ、りょうちゃん…お姉さん…
「お姉さん…」妹がわたしの腕をつねった。
「……」眼を開けると駅についていた。わたしたちは降りた。妹の顔を見た。
「お姉さん、と言った?」わたしは妹にたずねた。
「ええ、お姉さん…わかったでしょ、わたしはあなたの妹!」妹はきっぱりと答えて、大股で歩き出した。美しい髪の毛が風に揺れて、ピアスをした耳が見えた…そうだ、やはり妹なのだ。あの時のちっちゃな少女と同じ、妹…
 わたしは嬉しかった。妹が生きていたのだ。ほんとうの妹が…でもなぜ?わたしにはわからなかった…

 次の日も、また次の日も、わたしはその子を捜した。どの車両も捜したが、見つからなかった。
 ある土砂降りの日、わたしは駅にたどり着くまでにずぶ濡れになっていた。傘はさして自転車に乗ったけれど、全然役に立たなかった。スカートからは雫が垂れて、髪の毛も首に貼りつき、みんながわたしを横目で見て、くすくす笑いながら電車に乗り込んでいった。わたしは濡れていることはどうでもよかった。またあの子を捜さなければならなかったのだ。ぽたぽたと、髪の毛や袖やスカートから雫を落としながら、ドアのところに貼りつくようにして立った。わたしのようにずぶ濡れの生徒が何人かいたが、みんな友達に拭いてもらっていた…みんなわたしのことはどうでもよかったのだ。冷たい眼で見るものもいなくなり、自分たちの世界のおしゃべりにすぐ夢中になっていった。わたしはその車両の奥から、順々にひとりひとり、背伸びをしながら確かめた。目の前の背の低い女の子がよろけて、わたしにぶつかった。ぶつかっておいて、わたしを睨みつけて、自分の制服が濡れてしまったので、くそ!と言ってハンカチで、なにか汚いものでもぬぐうように拭きとって、その自分のハンカチを投げ捨て、靴で踏んづけた。仲間の女の子たちはそれを見て、指を差して笑いこけた…なにが可笑しいのか、わたしにはわからなかった。その女生徒もいっしょになって、首をのけぞらせて笑った。頭のレベルは猿以下だな、とわたしは思った。
 とつぜんむこうで悲鳴が聞こえた。わたしから五メートルぐらい離れたあたりだった。女生徒たちの頭が一方へ片寄った。座席には鞄を膝に抱えた女生徒がひとり残された。見ると、あの女の子だった。わたしの妹に似ている…いや、あの子は、わたしの妹そのものだった…「りょう!」わたしは心のなかで叫んだ、女の子はわたしを見た、聞こえたんだ、きっと、心の声が。
 その子の鞄からは、大きな緑色のトカゲが顔を出して、ゆっくりと左右に首をふっていた。次々に悲鳴が続いた。笑い声も派手だが、叫び声も女子高生たちは強烈だった。騒ぎを聞きつけ、車掌が人をかきわけてやってきた。そして、女の子の腕をつかんで連れて行った。いつもは機敏な動きを見せない女生徒たちは、ふたりが通るときには、見事に左右にわかれて、まるで船が進むときの波のようにさわやかだった。
 わたしも後を追った。車掌室へふたりは入っていった。わたしもなかへ入った。これから説教しようとしていた車掌は、不意の来訪者に驚いて、ふり返った。
「あんたは?」車掌がかん高い声で聞いた。
「…あの、わたしの妹なんです」わたしはその子の側に立って、かばうように言った。
「わたしの妹なんです?…」車掌は馬鹿みたいに鸚鵡返しに言って、ぽかんと口を開けた。
「ごめんなさい、ゆるしてください、妹は少し頭が弱くって、いつもなんかへまなことをするんです、あたしがよく見てなかったから、ゆるしてください、おねがいします!」
 わたしが立て続けに言ったものだから、車掌は、自分の言葉を失って、黙った。
「おねがいします、こんどからよく言い聞かせますので」
「こんどからよく言ってくださいよ…お姉さんなんだから、いい!」車掌はしぶしぶな顔をして、わたしたちを車掌室から出した。みんながいっせいにわたしたちを見た。わたしはその子の肩を抱いて、いちばん近いドアのところへ行った。みんな道を開けた。みんなにとっては、なにか面白いことが起きたので、自分たちの好奇心と猜疑心を満たすことができて、満足そうに、軽蔑の眼をわたしたちに向けた。
 その子は下を向いていたが、よく見ると、にやにやしていた。変な笑みを浮かべていたのだ。その顔をみんなも見て、呆れ顔でまた、自分たちの世界へ戻っていった。
 いっしょにホームへ降りると、女の子は、ありがとう、と言って階段へ向かって行った。なにも会話はしなかったけれど…ありがとう、と心に聞こえたのだ…その子の心が見えたような気がした。
 一時の激しい波は、かならず凪になるのだ。まるで遠潮が引くように、灰川家の話題は町から消えた。あの「事件」も「事故」として処理され、ふざけたゴシップとなって、町のみんなからは軽蔑と侮蔑と、そして、私達町のものはいっさい関係ありませんと、無視されていき、学校も閉鎖され、この町から、灰川家も薔薇園も、校長も学校も、すべて消され、葬り去られた。
 わたしたち親子にとっては、いい兆候だった。わたしたちの家の破壊を知った町の人々からは、募金が集まり、警察がお金と謝罪を持ってやってきた。市長も同行し、母に平身低頭謝っていた。わたしはそれをドアの陰で見ていたが、なんの感想もなかった、だって、あれはわたしの、彼らに対する処刑だったのだから…わたしが、わたしのお家が、少しぐらい罰を受けても仕方なかったのだから…なにも知らない母は可哀相だったが、あの犯罪者たちを、地獄に送り込むことができたのは、母にとってもいいことだったはずだ。
 なによりも、わたしは、わたしの妹にも逢えたし、父と伯母にも逢えたし、あれ以来、わたしの六歳以前の家族との記憶も、しだいに戻りつつあった。

 わたしはふたたび、父のノートと日記の整理にあたった。
 あの学校も消えたので、生徒たちはとなり町まで通っていた。わたしも市長のはからいで新しい学校へ行くことになった。朝早く駅まで自転車で駆け、そこから電車に揺られてその町の高校へ行った。電車のなかはいつも女生徒で溢れかえり、にぎやかだった。男の子たちは端へ追いやられ、我が物顔で電車を占拠する女生徒たちの、短いスカートと潰れた通学靴が踊った。
 その日もわたしは、いちばん連結部に近いところに立って、本を広げていた。女子高生はなぜこんなにも元気がいいのか、わたしにはわからなかった。まったく、屈託のない笑顔で、今までにどんな痛みも、どんな苦しみも味わったことがないと、その唇が大きく開いては閉じて、またぱっくりと開いていた。
 ふとわたしは、進行方向にあるとなりの車両をドア越しに見た…あの子は…あの子は、妹に似ていた…ほかの生徒の影に隠れて見えなくなった。どの車両もいっぱいだったので、移動はできなかった。わたしは駅に着くのを待った。女生徒たちをかきわけながら、白い眼で睨まれながらドアへ急いだ。ホームに出るとその子を捜した。となりのドアから出てくるのを待った。みんなが、立ちどまっているわたしの背中を突き飛ばして、階段のほうへ行った…その子は見えなくなっていた。見つからなかった…ただ似ているだけだったのかもしれない…わたしはあきらめて、みんなの背中を押しながら、階段へ向かった。
 あくる朝、警察が来た。わたしが、となりのお屋敷の変な物音で目が覚めたと、電話したのだ。はじめは二人だけだったが、そのうち、四人、十人、二十人と増えていった。報道も来た。カメラを抱えた人や、マイクを持った人で、お屋敷の前はしだいに騒がしくなっていった。
 以前から、幽霊屋敷と呼ばれていたところへ、校長が住むようになって、町では話題になっていたのだ。わたしはまったく知らなかったが、この灰川家とその薔薇園は、かつては町の文化財的な場所だったのだ。その後、数家族が住もうとしたが、不慮の事故や病気で、次々と家族の誰かが死んでいき、今では、灰川家の亡霊が出るといううわさまで囁かれていたのだ。そして、この「事件」の発生で、町の人々の興味が再燃し、マスコミや野次馬で、門が壊れんばかりにお屋敷前が沸きかえっていった。
 わたしたち親子も、もとお屋敷の住人だったとして、マスコミや町の人々の興味の対象になったが、わたしたち、わたしと母はいっさい外に出ることはなかった。いくら呼び鈴を押されても…あまりにもうるさいのでわたしが線を切ってやった。電話線も抜いた。カーテンも引いて、完全に外界からこの家を遮断した。
 そのうち、窓ガラスに向けて石が投げられた。小石ならまだしも、人の頭ほどもある石が、窓を破壊した。そのつど警察がその人間を逮捕したが、何の効果もなかった。外では怒号が響いた…出て来い!お前たちに用があるんだ!知らんぷりか!…ヘリが家の屋根をすれすれに飛んでいた。いくども、いくども…わたしと母は、いちばん西側の部屋で、ふたりしてベッドで抱きあっていた。クッションを頭から被っても、外の音は、耳のすぐそばで爆発した。わたしたちは泣いた。泪が出なくなるまで…わたしたち親子がなにをしたと言うのか…わたしたちはあなたたちとどういう関係があるというのだ…わたしは腹が煮えくり返った…もう我慢ならない、わたしはクッションを跳ね飛ばし、起き上がった。母がわたしを止めた。母がわたしを止めてくれた。わたしの顔は鬼のようだったと思う。母がわたしの顔を両手で、胸に包んでくれなかったら、目玉は飛び出し、舌を噛み砕いて、すべての人間、すべての者を、抹殺しかねなかったのだ…母の泪が、わたしの唇に落ちてきて…わたしは吾に返った。冷たい泪は、少し、苦かった…

 長い冬が始まった。わたしは寒さに震えながら、優子とあのお屋敷を見張った。食事のとき、何度か優子が白い粉をスープに入れるのを見た。そのつどどうにかして、スープを優子か校長のと入れ替えたが、だめだったときは、わざと皿ごとこぼしたり、気が狂ったように母に抱きついて、母のスープをだいなしにして、薬を母に呑ませないようにした。このときばかりは、わたしの神経症が役に立ったのだ。

 ある夜中のこと、わたしはいつものようにあの大木の影から、寒さに凍えながら、お屋敷を見ていた。星が降るように鮮明で、月は見えなかった。オリオンが天頂にのぼって、わたしを見おろしていた…玄関にいちばん近い部屋のカーテンがかすかに明るくなった。なかで明かりが動いたのだ。わたしは両腕を抱いたままそこを凝視した…またかすかに赤くぼんやりと光が滲んだ。たしかに誰かがあの開かずの部屋に入っていた。わたしはそっとお屋敷に近づき、その部屋の窓の下に行き、なかの様子に耳をそばだてた…なにも聞こえなかった…わたしは玄関へ行き、鍵をゆっくりと回した。音をたてないようになかへ入り、そっとあの部屋に近づいた。扉の下から赤い光が揺らめくように漏れてきた。ほんとうに誰かいるのだ。わたしは胸が苦しくなった。動悸が激しくなったのだ。胸を押さえると、吐きそうだった。それでもゆっくりと把手を回した。それは低くきしみながら回転した。扉を少しだけ開けてなかを覗いた。蝋燭が一本、宙に揺れていた。その下にはベッドがぼんやり白く浮き上がり、なにかがその上で蠢いていた…そのうちに、ベッドに被せられたシーツが波をうち出し、大きくめくれた…女が上体を起こし、男の上に馬乗りになって身体を前後に揺らしていた…「ああっ!」わたしは思わず声を出した。女は優子だった…男は校長だった。この部屋にまで来て、情事を、それも親子でけがらわしいことをしていたのだ…ふたりがいっせいにわたしの方を見た…わたしは天井を見た。天井のシャンデリアから、男と女がぶらさがっていたのだ…
「……」わたしの喉は声にならない叫びをしぼり出した。男は父だった。女は伯母だった、あの写真のふたりだったのだ。そのふたりがシャンデリアから首を吊ってぶらさがっていた。ふたりの腕はくっついているように見えた。蝋燭の炎が揺れて、その腕が糸で縫ってあるのが鮮明にわたしには見えた。赤いバツ印がふたつの腕のあいだを、交互に突き抜けて縦に並んでいた。さらに、わたしは驚愕した。シャンデリアにひとりの少女が乗っていて、わたしを見てほほえんでいた…なにか閃光が走った。一瞬わたしは眼を閉じた。そして眼を開いた…ゆっくりと、シャンデリアが父と伯母をぶらさげたまま、落下しはじめた。ひとつひとつのクリスタルが前後しながら、あとに残されていくように、ゆっくりと回転しながら落ちていった。父と伯母は、うなだれた首をしだいに上げて、わたしを見た。その眼は、母の眼と同じに宝石のようにきらめいた…
 猛烈な音がして、シャンデリアがベッドを潰した。ガラス音や金属音や、人間の悲鳴をさせて…四本の足がベッドの上でばたついていた。お互いの足を蹴りあげていた。なんという醜態だ!しだいにそのばたつきもゆるくなり、動かなくなった。シャンデリアの鉄の輪のふちに、あの少女が座っていた。そしてわたしを手招きした。
 わたしは一歩ずつ、吸い寄せられるように近づいていった。
「あなたはだれ?…」わたしは手を伸ばしながら聞いた。
「…わたし、りょう」その少女が答えた。
「りょう?」わたしはもういちどたずねた。
「そう、ほんとうのりょう」そのちっちゃな女の子はほほえんだ。
「わたしは…わたしは、あや」わたしはほんとうの名を言った。
「そう、あなたがあや?」
「ええ、わたしがあや…あなたがりょうなのね…ほんとうの…」
「……」わたしは、ほんとうの「りょう」を抱きしめた。ちっちゃなほんとうの「りょう」を抱きしめた。冷たかった。氷のように冷たかった。でもわたしはあたたかかった、わたし自身の心のあたたかさが胸に感じられた。わたしたちは抱きあったまま、眼をつむった…ああ、わたしの妹に逢えたのだ、ほんとうの妹に、どんなにわたしはこの子を求めたことか、父が求めたように、わたしもこの妹を求めていたのだ、いま心が合体し、すべてがわかった、わたしのなかの父と、わたしのなかのあやと、わたしのなかのりょうと、そして、ほんとうのりょうの融合が、この宇宙を照らした、真実の血の姿を、真実のたましいの姿を…
 「りょう」はわたしの胸のなかに融けていった。わたしはとても幸せな気持ちがした。なにかで心が満たされたように、眼を半開きにして、ベッドの上を見つめた。すばらしい光景だった。校長の身体に優子の身体がめり込んで、まるで人間の内臓を喰らう天使のように見えた。背中にクリスタルビーズの羽根を生やした天使に見えた。
 窓の近くがふんわりと光った。なにか塔のようなものが立っていて、その根元がぼんやりと青白く光っていた。父の顔が浮かんだ。わたしにほほえんでいた。伯母の顔も並んで、ほほえんでいた。あの少女も後ろにいた…ふたりはふりかえり、少女の手をひいて、塔のなかへ消えていった…

 ふたりは事がすむと、そそくさと部屋を出て、たぶん学校へ戻っていった。昼休みだったのか。わたしは意外と冷静だった。なぜか予想通りだったような気がしたからだ…わたしたちに、あれを盛っている?…どういう意味だ?薬でも知らないうちに呑ませていたのか?そうだとすると、ふたりを処刑するしかなかった。わたしは決心した。

 当然、母にはこのことは黙っていた。そして、優子が学校から帰ってくると、その行動を見張った。優子がわたしの様子を見に来た。わたしは神経をやられている風をして、ベッドで目玉を白黒させていた。それを見て優子は、食事の準備を手伝いにダイニングへ行き、母に親しそうに話しかけた。母も楽しそうだった。母のこの明るさは、薬のせいかもしれないと思った。外見は健康を取り戻したように見えたが、内部から蝕まれているのかもしれない。異様なほどに、母は以前よりも美しく、髪の毛も黒味を帯び、眼はさらにかがやきを増して宝石のようだった。
 わたしはそっと窓から抜け出して、ダイニングの窓ガラス越しに、優子の行動を監視した。それからいく日もいく日も優子の動きを見ていたが、なにも起こらなかった。

 秋も暮れていき、十二月に入った。優子はいつのまにか、あのお屋敷に暮らしていて、食事だけわが家へ校長とやってきていた。その日もわたしは注意深く監視をしていた。
 学校から戻った優子は、なんだか落ちつかない目付きで母を見たり、入り口を見たりしていた。今日はなにかやるかもしれないと思った。
 母がキッチンへ入った。優子はそのすきに、手のひらに隠し持った白い粉末を食事に混ぜた。ついにやったな!校長が言ったとおりだ。これで決まりだな…処刑の方法と場所と、いつ決行するか決めなければならないと思った。
 校長が学校から戻ってきた。ダイニングへ入りながら、優子に中指を立てて見せた。優子は知らんぷりをして、食器を並べていた。
「お帰りなさい、校長先生」母がキッチンから出てきた。
「あ、ただいま、今日も疲れました…うちの生徒はなぜあんなに元気がいい、優先生?」
「さあ…食べ物が普通じゃないんじゃないですか」適当に答えている。母はそれを聞いて、ふふふと無邪気にわらっている。なにも知らないで!
「りょうさんを呼んできましょうか」校長が母に言った。
「ええ、お願いします」母はそう言ってキッチンへ入った。
 わたしは急いで部屋へ戻り、窓の下に伸びているように寝そべった。
「りょうさん、食事ですよ」校長がノックした。
「はい…いま行きます」わたしの返事を待つまえに部屋の戸を開けて校長がなかを覗いた。ほんとにいやなやつだ。わたしは起き上がりながら、こぶしを作った。
 わたしがダイニングへ行くと、なぜか校長がずっとわたしを見ているので、あきらめかけたが、玄関に誰か人が来たようだったので、校長が見に行ったすきに、母のスープと優子のスープを入れ替えた。そしてわたしは、あまり食欲がないといってすぐに部屋へ戻った。
 ダイニングでは、大声や笑い声が響いていた…くそっ!あいつらめ!なんてやつらだ…母が惨めだった。母が素直に笑って、おしゃべりして、あいつらの謀略にひっかかる自分を知らないなんて、可哀相だった。
 いったいあいつらは、母とどういう関係なんだろう…遠縁と言っていたが、血は繋がっているのだろうか…母と優子が姉妹だとしたら、血の繋がりがあるのか、確かにふたりはよく似ていた、そのことは誰も話題にしなかったが、わたしの勘は当たっていたのだ。母はなぜそのことをなにも言わないのか?もうすべて知っていて、知らないのはわたしだけかもしれなかった…でも、いまとなっては、血縁も姉妹も関係なかった。実際にわたしたち親子を殺ろうとしている人間がいるのだ。わたしは注意を怠ってはならなかった。いつやつらが、わたしたちを闇に葬り去るのか、その計画を監視しなければならなかった…

 夏が過ぎて、ひんやりとした朝がやってきた。わたしは相変わらず、父のノートと日記を研究していた。夏休みが終っても学校には行かず、わたしの大切な仕事をこなした。ゆっくりではあったが着実に先に進んでいた。でも、それらはあまりにも流れるような文字であったために、わたしもともに流されることが多かったのだ。
 なかに、なにか符号のような、暗号のような文字を見つけた。ドイツ語のようでもあったが、単語中に数字が混じっていて、その意味はわからなかった…あとになってわかったのだが、それは薔薇園地図のなかの数字と、薔薇の名をドイツ語に訳して分解したものだった…
 母が時々、わたしの作業を見に来た。すっかり母も、元の身体に戻り、そのふっくらとした胸はいつも尖って、形がよかった。その尖った胸をわたしの腕に押しつけて、覗き込んだ…どこまで行った?母の眼がそう言っていた…まだまだよ、お母さんとお父さんが、あのお屋敷で出逢うところ…そう、ずいぶん進んだわね、あなたの登場はまだ先ね、がんばって…母は、そう心で言って、自分の部屋へ戻っていった。

 わたしは、またあのお屋敷へ行く必要性を感じた。どうしても想い出せないことがあるのだ。それはわたしの六歳までの家族の記憶だった。そこにはいくつかの断片的な画像しかなかった。あとはまったくの空白だった。まるで六歳で切り離されて、別人になったように、この家での想い出しかなかった。父との記憶をもっと取り戻したかった。伯母とのそれも、そしてその頃の母との想い出を…
 そこで校長が学校へ出かけたあと、母の鍵を使ってあのお屋敷へ入った。
 校長はどの部屋を使っているのだろう、用心深いやつだから、全部鍵をかけているに違いない。でも今日は、母のチェストの抽斗で見つけた鍵の束を持っているから、全部の部屋でも開けられるはずだった。中央の廊下は昼間でも薄暗く、眼を馴らす必要があった。ゆっくりとわたしは進んだ。一歩ずつ立ちどまっては、記憶を探った。ひと部屋ひと部屋、その把手に手をかけて、記憶の蘇りを待った。左右に分かれる廊下もすべて調べた。全部で九部屋あった。なにもそれらは教えてはくれなかった。右側の廊下の途切れたところで、膝を抱えて座り込んだ。少し廊下の板がひんやりした。どこかに掛けてある時計の音が聞こえている。わたしが父のノートと日記を見つけた部屋の扉の下から、あの時のように光が漏れてきた。きらきらと暗闇をいくつかに分かち、わたしの眼を射た。わたしは眼をつむった…わたしはそのまま眠ってしまった…
 バタンという音で眼が覚めた。話し声が聞こえる。校長の声だ。もうひとり女の声がする。笑っている。あの笑い方は佐々木優子だ。廊下の電灯がともった。わたしは立ち上がり、急いですぐそばの部屋の鍵を鍵束のなかから探した。ない、これも違う、これもだ、これも…ああ、ふたりがこっちへ来る、どうしよう…あった!校長と優子が廊下を右に曲がる寸前に鍵を開け、部屋にもぐり込んだ。この部屋にもしかして来るかもしれない、わたしは隠れ場所をさがした。クローゼットがあった。そのなかに身をひそめた…ふたりが近づいてくる。鍵をさし込んでいる。この部屋だ!この部屋の鍵を回している。
「あれ、おかしいわね、開いてる」優子がそう言いながら入ってきた。
「閉め忘れたんだろ!」校長ががなっている。
「閉めたはずだけど…」優子がいつもの人を問い詰めるような眼をして、クローゼットに近づいて来た。わたしは服のあいだに身をひそめた。
 ガタンと音がして戸が開いた。
「いやだー…やめてよお父さま!」優子が身をかがめた。長い髪が顔の両側から落ちて、その顔を覆った…お父さま?どういうことだ…
 優子はそのまま振りかえり、ふたりはキスをした。
「ああ…お父さま、わたしどれだけこの時を待っていたか…」
「大袈裟な!」校長は吐き捨てるように言った。
「だってもうすぐでしょ…このお屋敷がわたしたちのものになるのは」
「ふん、おまえの欲は底なしだな!…二軒ともぶんどるつもりか!」
「まあ、お父さま…人聞きの悪い、わたしがいつそんなことを!」
「おまえの魂胆は見えすいとる…ふたりにあれを盛っているのか?」校長の声がとつぜん小さくなった。
「ふふふ…どうだっていいでしょ、それよりはやくすませましょ…」
 優子はそう言って服を脱ぎ出した。校長も手早く服を脱いでベッドに横たわった。くちゅくちゅといやな音が続いた…
「おまえ…玲とは、姉妹になるんだぞ…」くちゅくちゅのあいまに校長の声が聞こえた…どういうことだ?…わたしは頭が混乱し出した。姉妹?母と?…優子が?わたしは声が漏れそうになった、思わず口を手で押さえた。
「なによ!…いまさら、わたしたちが親子だってことも黙っていたくせに…あの親子がどうなったって知らないわよ…あんな、あんな馬鹿がつくほどお人よしの母親と、神経症の娘なんか、どうなったって知ったこっちゃないわよ…このスケベ親父が!」パシッと言う音が聞こえた。
「あっ…出ちゃった…」
「馬鹿っ!」
「……」

| HOME |