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michianri

Author:michianri
せつない 想い…
つたない ことばたち…
やりきれない 心…

『詩片日記…薔薇園…片想い』

第一章『詩片日記』
surrealiste
 hypochondrie
    ~prologue
       灰川道緒

第二章『薔薇園』
     
       鵜沓 綾

第三章『片想い』

       野川美千夫  

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(c) 片想い…
design by Echizen
photo by mizutama

せつない ラヴレター つたない ことば やりきれない 日々… 


 わたしはそのまま眠ってしまったようだ。雨が降ったのか、目覚めると、手も腕も、脚も、露で濡れていた。朝の陽に目のまえの草々がきらきらとかがやいていた。わたしは急いで家に戻り、顔を洗い、制服に着替え、母に挨拶をして、家を飛び出た。
 遅刻だ。毎日のように遅刻するので、担任も呆れて、もう相手にもしてくれなかった。もちろんクラスメイトも、長期間休んで、また何事もなかったように教室にやってきたわたしを、簡単に受け入れるはずもなかった。それに、校長の親戚といううわさも学校中に広まっていた。でも、わたしは平気だった。誰のために、何のために学校へ行っているのか、自分がいちばんよくわかっていたから…当然友人もいなかった。何人かはわたしと友達になりたいのか、話しかけてきたが、聞こえないふりをして、本を読んでいた。それでもわたしは、学校が好きだった。なぜって、「文学」の先生が好きだったから。いろんな本をわたしに読ませてくれるし、わたしの母に似ていたのだ。いや、父に似ているのかもしれなかった。女性だけれども、男性的なところもあって、実は、この女子高では一番人気のある先生だったのだ。その先生の一番のお気に入りが…わたしが思っているだけかもしれないけれど…わたしなのだから、ほかの生徒たちから疎まれるのも仕方ないなと、わたしはほくそ笑んでいた。
 さて、この先生が、わたしのお家に来ることになった。なぜって、下宿するためだった。家賃の高いアパートを引き払い、校長のはからいで、母の家に下宿することになったのだ。学校も、丘を下ればすぐだったので、先生も都合がよかった。わたしも、学校と家の両方で、先生とお話ができるのをとても楽しみにした。

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 初秋の陽も、しだいに早く翳るようになり、虫の声も透き通るように聞こえてくる、ある夜のこと、トイレに起きて、ふと、北の小窓を見たわたしは、木々のあいまから光が漏れてくるのを一瞬だったけれども、見たのだ。あのお屋敷の方向だった。だれも住んでいないお屋敷に、誰かいるのだろうか。誰かが侵入したのだ、きっと。母の寝室をのぞいた。母は、むこう向きになって、ぐっすりと眠っているようだった。わたしは服を着替えて、お屋敷に向かった。
 警察を呼ぶべきだろうか、いや、わたしの勘違いかもしれない。別の光を、お屋敷からと思っただけかもしれない。わたしはそっと門のいばらをくぐり、樹の陰に身をひそめて、お屋敷の方を見つめた。なにも光らなかった。鳴きやんだ虫たちが、ふたたび恐る恐る鳴きはじめた。わたしは少しがっかりして、あるいは、少し安心して、また門を出て、そしてベッドに戻った。
 なかなか寝付けなかった。また光るかもしれない。そう思うと頭も冴えて、眠れなくなってしまった。あの写真が眼のなかに映った。妹はどんな子だったのだろう。わたしとそっくりの妹…逢いたい、逢って抱きしめてあげたい…また、わたしは既視感に襲われた。同じ想いを何度もしているのだ。それほどまでに、同じ想いが巡ってくる、いくども、いくども…
 わたしは、ふたたび起き上がった。パジャマのまま外へ出た。門をくぐってまたあの大きな樹の陰に隠れた。お屋敷を見た。なにも変らない。夏の名残りの墓地は、寂しさが増していた。月が雲から出てきて、あたりを水の底のように照らし出した。脚が寒かった。パジャマのズボンが鉤裂きになって、片方の腿があらわになっていた。まえにも引っかいたところだった。わたしはそこを手で押さえて、お屋敷を見張った。月はふたたび隠れて、雲が青白い薔薇の花のように見えた。虫の音が淋しく、響いていた…

 …そして、夏には何かが起こる、悲しいことや、つらいことや、華々しいことが…父の日記にこう書いてあった。
 わたしは父の日記を、あの日から少しずつ読んだ。母が眠ってから自分の部屋で、じっと、頬杖をつきながら、読んだ。
 美しい文章だった。美しい詩が書きつらねてあった。断片的な言葉もあった。意味の不明なものも多かったけれど、何かを感じとろうとすることがわたしの心を熱くした。読み進んでいくと、あることに気づいた。「彼女」「あの人」とは、母のことではないかと。そうすると、父の狂おしいほどの心が、母に向かって流れていく様子が、手にとるように理解できた。そのことははじめから予想していたことではあったが、父の生々しい言葉によって、それがわたしのなかで確信に変った。こんなにも熱い、ほとんど狂っているようにも思える言葉を書く父は、どんな人だったのか…ああ、逢いたい!わたしはそう想った。逢ってその胸に抱かれたいと、その腕に手を回して、墓地を、薔薇園を歩きたいと、そう想った…とつぜん、既視感に襲われた…わたしは、何度も、これと同じ経験をしてきたように感じた。
 夢を見た…わたしと父が、薔薇園の四阿に座っている…母がやってきて、わたしたちのそばに座った。伯母が後ろからわたしの頬を撫でた。母の膝の上にも、もうひとりのわたしが座っていた…フラッシュがたかれた…眼が覚めたわたしは、光に吸い寄せられた蛾のように、震えていた…
 あの写真、全員が姉妹のような写真…これだ。胸のポケットにあった。これは母で、これは伯母で、そして、これは父なのだ。父は女性だったのだ。いや、女性に見えたのだ。伯母ととてもよく似ていた。あまりにも似ていたので姉妹かと思えた。母も似ていた。母も姉妹であるかのようだった。この子は、わたし?もうひとりの子は、だれ?ああ、お母さん…教えてください!
 わたしはそのまま眠ってしまった。
 母の匂いがした。目覚めると、夏の陽は高く、すでに窓枠から去ろうとしていた。
 母のところへ行った。母は、ベッドに横になって、あの写真を眺めていた。
「りょうちゃん、おはよう…これ、いいお写真でしょ」
「ええ…お母さんはどれ?」わたしはベッドに座りながら、そう言って写真を指さした。
「これよ…わかっていたでしょ」母はいたずらっぽく笑って、わたしを引き寄せた。母の真白い髪の、香りがした。
「これはだれ?」わたしは、母の隣の人を指した。
「これは、あなたのお父さま…こっちがあなたの伯母、麗紗さん」
「この子は?」
「この子は…あなた」
「じゃ、この子は?」
「……」母はなにも言わず、わたしをじっと見つめた。何もかも話しても、わたしの心が揺れることはないか、たしかめるように、わたしを見つめた。
「…この子は、この子はあなたの妹…」母の眼からみるみる泪が溢れて、母の首のまえに腕を回していたわたしの手に、落ちた。
 …わたしの妹?妹がいたのだ。でもその妹は?どこに?
 母にたずねることはしなかった。その泪で想像できたからだ。たぶん幼くして亡くなったのだろう。わたしによく似た子は、わたしの妹は、死んでしまったのだ。
「わたしのりょうちゃん…」母は写真を撫でながらそう言った。
 わたしは、母と写真を交互に見た。わたしははじめ、「あや」という名だったと母は以前話してくれた。では写真の子、わたしの妹は「りょう」だったのか。「りょう」が亡くなって、わたしが「りょう」と呼ばれるようになったのだろうか。わたしの名は、消えてしまったのだ。「りょう」という子が、わたしの名前「あや」を持ってあの世へ逝ってしまったのだ…ではわたしは「あや」ではなく、「りょう」なのか…「あや」であったのに「りょう」になってしまったのか…なぜ?…なぜ…
 母はそれ以上なにも語らなかった。わたしも聞かなかった。怖かったのだ。わたしがわたしでないことを知るのが…ああ、やはり、あのお屋敷に行ったのは犯罪に等しい行いだったのか。わたしは、自分の罰を受けるために、また母の罰を重くするために、あそこへ行ってしまったのだ。もう二度と行くまい。過去を知ることはあきらめよう…わたしはそう思って、父のノートと日記を、閉じた。
 母が窓からこちらを見ていた…ああ、ひさしくベッドに寝たままだった母が、立ちあがって窓のところへ行き、わたしが高校へ再入学の手続きに行って帰るのを、待っていてくれたのだ。母はやさしい顔で、わたしを迎えた。窓をはさんで、わたしたちは手をとりあって、左右に揺らした。
「お母さん…起きて大丈夫?」
「ええ、今日はお天気もいいし、お庭に出てみようかと思って…」
 母は、ずいぶん痩せてしまった。夜着で見えないけれども、肌と布のあいだに空気の漂っているのがわかった。
 わたしは母の腕に自分の腕を回して、テラスから庭へ出た。もう長い雨も上がり、水分をいっぱいに含んでかがやいている緑が、庭中に充満していた。木々のいい香りもした。わたしは夏休みが明けてからふたたび高校へ行けるようにしてもらった。校長が灰川家の遠い親戚で、ずいぶんと灰川の寄付で援けて貰ったと、わたしに率直に話してくれたのだ。わたしは学校が好きだったし、母の身体もだいぶん良くなってきたし、私自身の心の埋没もおさまっていた。

 ある日、わたしは母に伝えた。
「行ってくる!」…母は黙って、わたしの手に触れて、わたしを見つめた。わたしが次の言葉もなく立っていると、母はライティングビューローの抽斗から、一本の古い鍵を取り出して、わたしの手のひらに置いた。
 わたしは黙ってそれを握りしめ、あのお屋敷へ向かった。

 門のいばらをくぐり、すこしカーヴした玄関までの道をゆっくりと歩いた。道に敷いてあるレンガの隙間には、匍匐性のミントがもりあがっていて、歩を進めるごとに、香った。ところどころには、背の低いカミツレがちっちゃな白い花を咲かせていた。わたしはそのひとつをちぎって香りを嗅いだ、ああ、いい香りだ。わたしのなかで、記憶の歯車が音を立てて回りはじめた。
 玄関の前には、大きな薔薇のアーチがあって、もう終りかけの花をぶらさげていた。「マルメゾンの想い出」というつる薔薇で、うすい肌色の花弁はおおらかに花のなかで混乱して、貴婦人の入浴後のような香りをさせていた。わたしはこの薔薇が大好きだったけれど、お屋敷を背景に見ると、あまりにもくっきりと花の影が映り、とても重く感じたので、遠くからいつも眺めるだけだった。
 その薔薇をくぐり、玄関の扉へ鍵を差し込んだわたしの手は、震えて、しばらくはそれを回せなかった。扉の脇の壁には、眼を射るような緑色の葉のつる植物が茂り、ポーチの柱を伝って、筒状の花を王冠のように輪状に咲かせていた。
 わたしは、鍵を回した。重い金属が下に落ちるような音がして、自らゆっくりと扉が開いていった。そして光がなかに射し込み、正面の長い廊下を照らし出した。
 お母さん…わたしはひとりつぶやいて、一歩ずつ足を運んだ。廊下の板が鳴った。持ってきた電灯で、それぞれの部屋の扉を照らしながら、導かれるように奥へ進んだ。
 廊下は、左右に分かれていた。わたしは右へ行ってみた。各部屋はすべて同じ扉と、同じ把手がついていて、ずっと同じ映像のくりかえしだった…後ろでもの音がした。ふりかえると、今通り過ぎた扉の下から明かりが漏れてきた。そしてすぐに消えた。わたしは一瞬凍って、そこを凝視した。またうっすらと光った。わたしは少し後ずさった…でも思いきって把手を握った。そして扉を開けた。眼をつむるようなまぶしさがあった。ようやく眼を見開いてみると、ガラスが割れ、カーテンが風で揺れるたびに、窓のむこうに屋根からぶらさがった金属の板が、太陽を反射して、合図を送るように光っていたのだ。光るたびに、薄暗い部屋の一部を白い波に晒した。部屋の片側には本棚が作りつけてあって、本が隙間なく並んでいた。その下にはカヴァーをかけたベッドがあり、レースがほこりをかぶってぼやけて見えた。
 わたしはカーテンを開けた。揺れている金属の板が、光をすべてに散りばめた。ああ、なんて美しい部屋だ…わたしは感動した。母の部屋よりも可愛い。母の好みと似ていたけれども、それよりももっと明るい印象があった。
 暖炉の上には写真たてがいくつかあり、なかに色褪せた写真が入っていた。わたしはそのひとつを手に取った。まるで姉妹のような顔が並んでいた。そのひとりは母だとわかった。あとのふたりが父と伯母だろうか…でもみんな女性だった。ちっちゃな双子がその三人の足もとにしがみついていた。わたしはこの写真を取り出し、胸にしまった。
 本棚には、同じ本がいくつも並んでいて、ひとりの作家の全集であることがわかった。わたしは何冊か手に取ってみた。装丁の美しいものばかりで、本の断面にも色がつけてあった。はじめて開かれたように白く、匂いも新しい本のものだった。わたしは下の段にある別の全集を手に取った。すると、箱のなかに何もないような軽さだった。見ると、本はなく、一冊のうすいノートが入れてあった。表紙を開くと、植物の学名と、日付と、そして三桁の数字が延々と並んでいた。次のページも、別の学名と日付と数字が並んでいる。きっと絵の制作記録だろう。とすると父のものだろうか。次のページも開いてみた。逆さに文字がぎっしりと並んでいて、いちばん上のところの文章が途切れて、空白になっていた。わたしはノートを逆にして読んでみた。むずかしい表現なので、よく意味は理解できなかったけれど、何かに関する論文のような、詩のようなものだと思った。ただ、「薔薇」「薔薇園」「Epitaph」という文字は頻繁に現れて、繰り返しデザインのターミナルのように見えた。このノートも持っていこうと思った。父のものであるならば、わたしには、母のものと同じぐらい大切なものだと思ったから。
 もう一冊、となりの本を手にすると、箱のなかには、箱とは違和感のある本が入っていた。赤いビロードの表紙は、持ったときに指が沈み込むほどにやわらかく、背表紙には左右対称の模様が入っていて、よく見ると二冊の本を一冊に貼り合わせたものだった。なぜかとても重く、開くと、文字がぎっしりと鉛筆で綴られていた。日付が連続しているので、日記とわかった。表紙の裏には、「灰川道緒」と署名があった。父の日記なのだ。わたしの腕が下がった。さらに重さを感じたのだ…ああ、父に触れている…そんな感覚がした。
 わたしは、やはり来てよかったと思った。母も、このことを予想していたのだ、きっと。ただ、自分の過去と、わたしの過去を重ねたくなかったのかもしれない。それほどに、語れない何かがあったのだ、きっと。
 わたしはこのノートと日記を持って、廊下を戻った。玄関にいちばん近い部屋の扉が眼に入った。いままでのものとは違っていた。扉も大きく、把手も黒く錆びついていた…わたしは脚がひりっとするのを覚えた。見ると、スカートから出ている腿の内側に血が滲んでいた。もうすでに血は乾いていた。門を入るとき、いばらに引っかけたのだろう。いままで痛みは感じなかったのだ。
 わたしはこの部屋へ入るかどうか躊躇していた。脚の傷は何かのシグナルかも知れないと思った。よくこういうことがあるので、その関連を自分なりに楽しんでいたのだ。そして、それは、どういう結果になるかを、期待と希望と落胆と苦痛を、味わうためでもあった。わたしは部屋へ入ることを決めた。部屋が呼んでいた。このまま見ずにおくのは、どういう結果になっても、後悔するだろうから…わたしは把手に手をかけて回した。動かなかった。鍵がかかっていた。私の緊張は雪のように融けた。
 わたしは玄関を出て、薔薇のアーチをくぐった。そのとき「マルメゾン」が風に揺れて、大粒の雫をわたしにふりまいた…
 わたしは家へ戻った。
「お母さん、呼んだ?」
「いいえ…でも心のなかで、りょうを呼んだの」
「そう、ちゃんと聞こえたの、お母さんの声が」
「……」母は悲しい顔をしていた。
 母は、わたしが過去へ遡ろうとしていることを知っているのだ。わたしも母の気持ちはわかっていた。でも、わたしの心の回帰を促すには、この道しかなかったのだ。母を傷つけるかもしれない。母を壊してしまうかもしれない。でも、でもわたしのたましいは、過去を、わたしの眠る記憶の光に晒すことを望んだ。わたしも壊れてしまうかもしれない。それでもわたしはすべてを犠牲にしても、過去を知りたかった。それはもう、理性を超えた、脳の過剰現実性だったのだ。
 わたしはついに、あのお屋敷に行く決心をした。この場所が、父のいた家、母と暮らした家であることは、わかっていたのだ。わたしの消された記憶の点滅がしだいに始まった。
 
 それは、六月のある日、墓地を進んでいたわたしの眼のまえに、薄ピンクの大きな薔薇の花が、わたしを見おろしていた。わたしはそっとその花を手のひらにのせた…ああ、この香り、そしてこの光、この薔薇の木…女の人が空に融けていくのを見たんだ。わたしは、想い出した。あの時の、不思議な体験を。そこには母もいた。わたしは母と手をつないでいた。父もいた…顔はみえないけれども…そうしてもうひとり、女の人がいた。それはきっと「麗紗」だろうか。わたしは、父の匂いを感じた。薔薇の花の首をこすると、特有の油の匂いがする、その匂いだった。父の膝にいつも抱かれて、あの四阿で、野薔薇の白い花房を眺めていた、ふたり…そして母も…そして、伯母も…
 あの四阿のベンチに座ると、落ち込んだわたしの精神も、安らいでいくわけが今、理解できた。
 取り戻した記憶は、人を悲しませることもあるけれど、人を救うことだってあるんだ。わたしは想い出した。このお屋敷で、この庭で、六歳まで過ごしたんだ。母と、父と、伯母と…六月の薔薇園と、八月の木々の緑と、秋の薔薇の葉の紅葉と、冬の棘薔薇の美しい姿を…想い出した。まるでしだいにたくさんの羽根が舞って、息苦しくなるように、記憶が舞い下りてきた。やさしい父の笑顔、あたたかい伯母の胸、眠るときの母の身体のぬくもり……母の声がした…

 呼び鈴が鳴った。わたしは玄関に出た。小包だった。
 母に渡すと、母は、静かにそれを開けた。母の伯母という人からのものだった。母の病気を知って、お見舞いの品物を送ってきてくれたのだった。手紙が添えられていて、それを読んだ母の眼から、大粒の泪がこぼれた。泪は、震える手紙を濡らした。
 母親の形見が、小包に入っていたのだ。わたしの祖母の名は、鵜沓涼子といって、母とずっと暮らしていたが、母がこちらに来てからは、ひとりでの日々を送っていた。そして、伯母に形見を託して、淋しく亡くなっていったのだ。母はそのことを悔やんでいた。最後まで母親といっしょにいてやれなかったことが、母の一生の後悔となっていた。わたしも後でこのことを聞いて、母が、どれだけ悔やんだかを、察することができた。
 母は、わたしの祖母のことを、ときおり話してくれた。女手ひとつで自分を大学までやり、好きな美術を学ばせてくれたことや、母親も植物が好きで、いっしょに薔薇を育てたことや…わたしの母がそうであるように、祖母も母を、深い愛情で見守ってくれたことを。
 わたしはやはり、幸せなのかもしれない。いつも自らの淵に落ち込んで、悲劇の主人公を演じるのは、今日でやめようと思った。それよりも、母のそばにいて、母の力になり、母のためになにかしようと思った。
 それには、母の果てしない哀しみ、わたしには見せまいとする哀しみが、なぜあんなにも濃く、心の底に澱んでいるのかを、突きとめなければならなかった。母のために、いや、わたし自身のために!

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