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michianri

Author:michianri
せつない 想い…
つたない ことばたち…
やりきれない 心…

『詩片日記…薔薇園…片想い』

第一章『詩片日記』
surrealiste
 hypochondrie
    ~prologue
       灰川道緒

第二章『薔薇園』
     
       鵜沓 綾

第三章『片想い』

       野川美千夫  

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(c) 片想い…
design by Echizen
photo by mizutama

せつない ラヴレター つたない ことば やりきれない 日々… 


            
 あなたへの強烈な想いに、ぼくは、紫色のむくげの花のしおれた姿をしている。
 (ちぢれた青は、うす青のそばに重なり、うす青のちぢれは、とまどって、青の影に隠れた。)
 そして、ことばを忘れた…
 (あなたの姿を、ください。あなたの香りを、ぼくにください。あなたの、心を、ください。) 
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       『連鎖』
 わたしがふたたび立てるようになると、玲とともに、薔薇園を歩いた。彼女はすでにわが家の住人になっていた。こんな素敵な薔薇園は、そうめったにお目にかかれないし、モデルもふんだんにあるし、姉はやさしいし、その姉にも愛されて、双子からも好かれて、わたしにも…愛されていると思い込んでいるんだ、きっと。
 わたしのなかで、玲に対する感情が少しずつ変化しはじめた。彼女の宝石の眼も、今では濁っているように見える。こうしてふたりして薔薇園を歩いていても、なんの輝きも生まれなかった。ただ薔薇の歴史について、少し会話するだけで、彼女の口からも、わたしの口からも、光りかがやく星は生まれなかった。

 双子はわたしの予想に反して、ふたりとも女の子として成長した。名前はわたしたちの母の名から、ひとりは「れい」と名づけ、もうひとりは姉の名から「れいざ」と名づけられた。母の名は字こそ違っているけれど、彼女と同じ「れい」だったとは、わたしたちはまったく知らなかった。母は「れい」という名を使わずに「りょう」といつも自分を呼んでいた。父も「りょうちゃん」とか「おりょう」とふざけて呼んでいたので、今まで母の実名を知らなかったのだ。子供たちの名を決める段になって、色々と調べるうちに、母のほんとうの名を知った。その名が、玲と同じ呼び名の「礼」だったとは、母が玲をこの家に呼び寄せたのかもしれない。

 「れい」と「れいざ」は、わたしにはなぜかなつかなかった。おざなりに一応わたしの膝の上に座るけれど、すぐに母のもとに行って、顔を腕にすりよせた。わたしは別に子供に好かれようが嫌われようがどうでもよかった。この子たちが順調に大きくなるのを阻止することだけを計画した。

 ある日、ふたりをわたしの部屋に、つまり父の部屋に呼んだ。姉と玲は出かけていた。わたしに双子の世話をまかせて、どこかの葡萄園のワインがおいしいそうよ、とふたりして出かけていった。
 そのチャンスをわたしがのがすはずはなかった。ふたりの子をチョコレートで呼び寄せた。ふたりはわたしのベッドに座って、仲良く並んで、チョコレートをほおばった。口のまわりはチョコレートだらけになった。とても可愛いとは言えなかった。子供がチョコを口にすると、悪魔のようになるんだ。こういうやつらを懲らしめないで、どうする、え?そうだろ?お父さん…ふふ…
 わたしは、向かいの姉のベッドに腰かけて、双子の一方を手招きした。いまだに「れい」と「れいざ」の区別がつかなかった。口のまわりにはべっとりとチョコがつき、わたしを見上げてほほえんでいる。もうひとかけら、もらえるとでも思っているのだろう。かわりにわたしのペニスをその口に押し込んでやった。最初はなにが起きたのか理解できなかった様子だったが、ことの次第がわかると、白目をむいて、唸りだした。いい感じだ。そうだ、もっと唸れ!そして喜べ。わたしのペニスがくわえられることは光栄なことなんだよ。喉の奥に達すると、その子は窒息した。もうすこしだ、我慢しろ。ああ、いった。わたしはいったんだ。双子の一方の口のなかで、いった。ペニスを抜くと、ぎょっとするほどにチョコレートがくっついて、変な生きものに見えた。その子は咳き込んで息を取りもどした。そしてチョコ混じりの精液を吐き出した。
 ほら、言ったでしょ。チョコレートを食べ過ぎると、もどすんだと!
 もうひとりの子は、唖然として片手に食べ残したチョコを握って、この一部始終を見ていた。泣きもせずに。チョコは手のなかで融けて、その小さな指の隙間から漏れ出ていた。その子は手のひらを開いて、べっとりとくっついたチョコを洋服でぬぐった。
 儀式が終ると、わたしはふたりを強く抱きしめた。ふたりはわたしに抱かれたまま、じっとしていた。そのうち、チョコの味とペニスの味と、精液の匂いがいいものに感じられてくるはずだ。わたしが、そして姉がそうであったように。いかなる正常化も、この家では報われないことを、この家に住むもの自身が知らねばならないのだ。そうして儀式は継続するんだ。ずっと継続してきたんだ。わたしの父の、そのまた父も、さらにその父の、父も…
       
 ある人のことで頭がいっぱいだと、見えるもの、聞こえるもの、そして思うことがみんなある人の色に溶け込んでしまう。街のなかでは、その人に似た人をさがす。森のなかではその人の香りを、さがす。この部屋のなかでは、すべてがその人への想いで満たされている。ぼくがその人と出逢ってからは、いつものぼくではなくなった。冷たい氷のような心からは、ぽたぽたと雫が落ちる。凍った頭のなかは小鳥が舞い、その人への歌をさえずる。いつもぼんやりとした目玉の焦点は、その人の姿へ、集束した。
 ぼくがある人への想いを強めると、さらに、ぼくはぼくではなくなっていった。氷の心はすべて融けて、上気し、自由を得た首は回転を速めた。結束する視線はその人の姿を焼きつくすかと思えた。そして、さらにぼくの心が成したものに、その人の心とぼくのそれが同化する過程を描き出した。しかし、ぼくはそれ以上先へ進むことを恐れて、この数日間、押し黙っていた。でも、でもあの人のことはとても忘れ去ることはできない。ぼくの心も身体もあの人の色に染まってしまった。あの人は遠く離れた存在だけれど、ぼくのすぐそばに、ぼくの身体のなかに、ぼくそのもののように存在しているから。
               
 双子はやはり、男の子と女の子の双生児だった、たぶん。というのは、まだ割れ目から、陰茎の生える様子はなかったので確かではないが、あきらかに男の子のほうは下腹部がもりあがっていた。そこをおさえると、睾丸らしきものがあった。ころころと、割れ目の左右で動いていたんだ。わたしは一週目で陰茎が生えてきたが、たぶんこの子も、三週目ぐらいまでには生えてくる予測をしていた。わたしがそう思っているだけだと、ふたりは言うけれど、わたしたちがありえなかったように、ありえないことは連鎖して起こるのだ。
 ほんとうに赤ん坊が母の乳房にしがみついている姿は美しい。可愛い親指が乳房の下のほうにくぼみを作って、めり込んでいた。左右の乳房に吸いついて、ふたりとも、親指をそうして、母に苦痛の快楽をあたえていた。わたしたちは、わたしと玲は、それをじっと見つめるのが好きだった。
 赤ちゃんは、けんめいに乳を飲んでは、すぐに眠くなるのか、乳首をくわえたまま重い頭がのけぞっていくけれど、また思い出したようにけんめいに吸いはじめるのだ。眠りそうな赤子と、伸びた乳首の関係が、わたしたちをうっとりとさせた。なんて赤ん坊というものは、こんなにも可愛いのだろう。なにも書き込まれていない紙のように、なにもわたしたちに疑いを持たせないし、どんな色も染めていない白い布のように、わたしたちを安心させるんだ。長い睫毛は母に似て、まっすぐ伸びていた。
 玲は人差し指をふたりの赤ん坊に握らせている。まるで、それを離すとどこか深みに落ちてしまいそうなほどに、強く握っていて、玲がわざと離そうとしても、双子たちの手も、彼女の指といっしょに移動した。
 「ほんとにすてき…」わたしも子供が欲しい…そうわたしには聞こえた。玲はわたしたちよりもずっと若いので、そんなにあせることもないだろう。すぐにいい男が見つかるさ。こんなに美人で、こんなにやさしくて、絵の才能にも恵まれた女を、だれが放って置くというのだ?わたしだって、彼女を手に入れられたのだから…
 わたしは赤ん坊よりも、玲をじっと見つめた。そのわたしの眼を、じっと姉が見つめていた。玲はその姉の眼を見て、私の方へ眼を向けた。わたしと玲の視線が逢った。姉は赤子へ眼を落とした…十分に予感がする…なにかが起こる、前兆だった。

 
 それは、夏だった。あの蒸し暑い夏、いつも事が起こるのは夏なのだ。父が首を切られたのも、母が首を吊ったのも、伯母がバイクに跳ね飛ばされて薔薇の木に磔になったのも。
 そして、この忌まわしい双子が産まれたのも…

 わたしは、ひとりでベッドに寝ていた。姉は双子とともに、母の寝室に移っていた。昔母がそうしたように、姉は双子にお話を聞かせてやっているはずだった。玲は、わたしのアトリエを使っていた。夏に薔薇の葉をわたしが描いたように、彼女もたくさんの薔薇の葉を描いていた。ときおりそれをわたしに見せに来た。
 「道緒さん、これどうかしら…色がなかなか出なくって…」
 「…」わたしは首を横に振った。けっして色が出ていないというわけではなく、よく描けていると思ったからだ。でもなにもしゃべらないわたしの曇った表情に、玲はうまく描けていないと思い込み、ふたたび色を重ねるためにアトリエにもどっていった。

 また、長い午後が過ぎていった。わたしはうつろになりながら眼をおよがせていた。
 となりのアトリエで、低い声がした。
 「うっ…」だれの声?わたしはうつつにもどされ、頭を回転させた。
 「うっ…」またとなりから聞こえてくる。
 わたしはその声の理由を知りたかった。とてもベッドから歩き出そうとも思わなかったが、這うことはできるはずだ。わたしはそっと床に手をつき、身体をしずかに床に落とした。そして、となりとの壁へ這って行った。そこには塞がった穴があった。わたしは、薄皮のような爪の生え出した小指で、その穴を塞いでいる詰め物をゆっくりと押した。指が痛かった。小指は骨の太さまで細く尖り、その詰め物を向こう側へ押し出した。わたしの薔薇の本の上にそれが落ちた。わたしは手で上半身をささえて、穴をのぞいた。小さい縦長のいくつもの窓から西日が入り込んで、緋褪色に帯を作っていた…この光景はいつか見たことがあった。そう、玲がはじめてこの家を訪ねてくれたときだった。光の帯のなかに彼女はいて、絵画の世界を作っていた、あの日が、今、そこに再現されていた。
 玲は、光の帯のなかに座り、手を後ろについて、頭をのけぞらせていた。両方の脚はむき出しになって、大きく広がり、横から見ると、手と身体と脚で、Mの字の形に見えた。しかしそれだけではなかった。彼女の脚のあいだから、もうひとつの身体がドアの方向へ伸びて、連なっていた。
 「うっ…」玲の声だった。しだいにその声の間隔が狭まっていった。頭をほとんど床と水平にのけぞらせ、ふうっと息を大きくついた。脚のあいだから、もうひとりの人間が顔を上げた。長い髪が、耳や頬や、くちびるにくっついていた。それは姉だった。ふたりがこちらを見た。わたしは思わず穴から顔をそらした。見られたのかもしれないと思った。ふたりがその穴めがけて駆けてくると思った。わたしは興奮した。今見た光景に、身体が熱くなった。あの時の興奮と同じだった。吊るされた母を穴からのぞいていたあの時と。
 わたしは這ってベッドにもどった。薄皮の爪の先が床に触れて、痛かった。
 ベッドにもどると同時に、ふたりが…今わたしが見ていたふたりが、部屋に入ってきた。
 「道緒さん、おきてる?」姉が言った。わたしはそのくちびるを見た。
 濡れていた。血を吸ったあとのように濡れていた。そして一本の陰毛が貼りついている。この姉は、わたしの姉ではないとわたしは思った。わたしとは似てもいなかった。むしろ、父の顔に似ていた。あの、人を小ばかにしたような、顔、少し顎を上げて、人を見た、あの男の顔に姉は似ていた。わたしは、父が首を切られて当然だったように、この姉も首を切り落とされるべきだと思った。玲は…玲は、まだ陶酔しているように、うつろな眼で、わたしのむくろのような身体を見下ろしていた。
 姉はきっと、わたしからすべてを奪おうとしているのだ。わたしにはなにも残らないように、なにひとつ、わたしがあの世へ大切にして持っていかないように、そう計画しているに違いなかった。
        
 やまゆりの花は終ってしまったのに、百合の香りがする。裏庭の白い鹿の子百合の匂いだろうか。西側の窓から香ったような気がする…もう消えてしまった。香りの幻覚かもしれない…ほおのきの枯れ葉の匂いと、レモングラスの香りと、お香の残り香があわさっていたのかもしれない…ぼくの見つめていたあなたの可愛いくちびるが、香りを連想させたのかもしれない…
 …ふたたび、夜が来て、ふたたび、朝が来て…ぼくの夏が過ぎていく。


                七月二十九日 22:55~
                   「忘れえぬ人」記す
        
 「ぼくは…もうすぐ帰ります」わたしは横にいる女に言った。
 「道緒ちゃん、ここはあなたの家よ」女が言った。
 「ぼくは…わたしは、どこにいるのですか…あの方たちはだれですか?」
 この部屋は人で溢れかえっていた。わたしのいる場所ではなかった。だれもわたしに関心がなかった。ただ横にいる女は、わたしの手を握って、まるでだれかの母のようにわたしを見つめた。その手から自分の手を振りほどこうとするけれど、指と指を交互に絡ませていて、接着したパズルのようにはずれなかった。
 「姉さん…」その絡ませた指から、姉が侵入してきた。
 わたしの心に突き刺さるように、わたしの震える心を犯した。
 「姉さん…」
 「なに…道緒ちゃん」
 「ぼくは、生きてる?」
 「ええ、もちろんですとも…ほら、ちゃんとわたしの指を感じるでしょ」
 たしかに指の間が熱く重かった。そしてその熱は身体中をめぐって、足の先も、お腹も胸も、頭のなかも、すべてに充満していた。なにかが生まれ出る前のように、なにかが誕生する前ぶれでもあるかのように、わたしは、眼を開けた。瞼を開いた。でもなにも見えなかった。ただ、暗い部屋にいるのだろうと思った…ふたたび眼を閉じて、眠った。


 赤ん坊の声に眼が覚めた。わたしはいっときのま、自分の存在を確かめた。自分の手、顔、胸……わたしはどこにいるのだろう。暗闇が重なって、無の世界になったように暗い。赤ん坊の泣き声がする。複数聞こえる。ここは病院なんだ。ベッドに手すりもある。病院の匂いもする。わたしが手を伸ばすと、ちゃんとケースにわたしの身体は収められていて、それを覗き込んでいる顔も見える。わたしの横には、赤ん坊が眠っていて、たぶん同時に生まれた姉だろうか。ときどき握った手を上下していた…わたしも眠ろう…

 「道緒さん…道緒さん…」わたしの顔を触れて、だれかがわたしを起こした。
 「ほら見て…道緒さんの双子ちゃんよ」あの人が、両腕にふたりの赤ん坊を抱えて、立っていた…道緒さんの双子ちゃん?
 わたしの双子なのか?わたしはいつ結婚した?玲の立っている向こうのベッドに姉が寝ていた。そしてこちらを笑顔で見つめていた。そうか、姉が産んだのか。姉が道緒の子を産んだのだ…それも双子を。道緒の子、道緒の子、道緒の双子…わたしは顔を手で覆った。
 「ああ…」震えるため息が漏れ出た。姉はわたしの子を産んだのだ。わたしの双子を……わたしには精子がないと医者が言っていたのに…あの医者もあてにならないな。わたしは微笑んだ。男として失格と、人に陰口を言われる病いではなかったのだ。ちゃんと女を身ごもらせたんだから。それも、妻と自称する、姉を。
 「ふふふ…」わたしは、笑いがこみ上げてきた。笑った。初めて笑いを知ったように、笑い続けた。赤ん坊が泣いた。わたしの笑い声にあわせて、ふたりとも泣いた。とてもにぎやかになった。とてもいい病室だ。かつては父も住んでいた病室。笑い声と、赤ちゃんの泣き声と、幸せな空間ができた。玲は双子をあやしながら、こんどは双子の母の方へ行った。その母は、満面の笑みで双子に手を差しのべた。双子は泣きやんで、手足をばたつかせた。母の胸に行きたいのだ。玲がそっと母の胸に抱かせてやると、赤ん坊たちは、脇の下にもぐり込むように、母の身体に擦り寄った。とても幸せな光景だった。わたしも幸せになった。玲も首を少しかしげて、美しい横顔をいっそう美しくした。
 「お名前は考えていらっしゃるの?」わたしと双子の母とを交互に見ながら、玲が言った。
 「まだなの…」双子の母はそう言って、わたしを見た…名前なんて、そんなの問題じゃない。わたしと姉の子が、それも双子が産まれて、名前なんてどうでもいいじゃないか…あの人はなぜいるんだ?こんな病室までもついてきて…そういえば、以前、わたしの家にいたな、妻とふたりで。いや、わたしの姉とふたりで。わたしが入院しているあいだ、ずっといっしょにいたんだ。あの美しい薔薇の季節をふたりして、わたしの庭で過ごしていたんだ。思い出した。姉が彼女を呼び寄せたんだ。わたし抜きで。ありえない話だった。いや、今のほうがもっとありえなかった。姉がわたしを受け入れたのは、こういうことだったのか。わたしの子供が欲しかったのか。姉はこの澱んでいくような血を、純血を、残そうとでも言うのか…

 姉の乳房に吸いついた双子は、乳を飲みながら眠っていった。その母も、眠りに落ちた…玲がわたしのベッドに座った。
 「道緒さん、おかげんはいかが?」玲はなにも知らないような顔をした。わたしの過去を、わたしたちの過去を、なにも知らない人のように、わたしに話しかけた。その髪はいっそう伸びて、滝のように顔の片方に流れていた。美しい。彼女の美しさには、どの薔薇もかなわない…そうわたしは思った。
 
 「道緒さん…わたくし、麗紗さんに、子供をさずかったので、ぜひ、たすけてください、夫は入院中で、とてもわたし不安なので、というお手紙をいただいて、すぐにまいりましたの」玲はゆっくりと、いきさつを話しはじめた。
 「道緒さんが、ご結婚されていることは、わたくし知りませんでした…でも、わたくしのたいせつな道緒さんの奥様から、たすけてと言われると、身体がかってにこちらへ向いてしまいましたの…ふふ、薔薇の季節でもあるし…道緒さんにも、もういちどお逢いしたかったので…」
 …そうだったのか、彼女のやさしさに、姉はたすけられたのか。わたしが入院しているあいだ、不安な夜をひとりこの家で過ごすよりも、わたしが愛した女性とともに過ごすことは、姉を力づけたのか…いや、そうではない。姉にはなんらかの考えがあったはずだ。計画は遂行中のはずだった。この人をまき込もうとしているのか。わたしたちのくずおれた血すじのなかに。なぜそう思うかって?だって姉は嘘つきだった。わたしの妻をかたっていた。わたしがそれを言えないことを知っていて。でも、玲も気づいているに違いない。わたしたちは、だれが見てもそっくりだったし、入れかわったとしてもだれもわからないほど、似ていたから。もちろん、髪の長さや、お化粧や、爪のマニキュアをとりかえっこしたら…きっと人々は、なにもなかったようにわたしを姉として、姉をわたしとして、話しかけただろう。今、この人が、そうしているように…ああ、わたしたちはいつのまにか、身体はそのままに、たましいだけが行き来しているように、お互いの違和感がまったく消え去ってしまった。姉のよろこびも、かなしみも、苦しみも快楽も、その考えていることだって、その計画も、すべてわかった。そして、結末までも、わたしは悟ってしまったのだ。姉とわたしの距離の差を取り去ってしまうほどの、精神の同化だった。もうわたしはなにも言うまい。姉にすべてをゆだねよう。この血すじを永遠にするために…ねえ、麗紗?
       
 なんだかしおれたむくげの花のようになっているぼく。咲きはじめはなんて綺麗だと思われていたのに、もう次の花に場所を明け渡して、草のかげに落ちた。そんなむくげの花もいまは満開になるほどに夏。ぼくの頭はこの暑さのなかでは、まるで、夏枯れの休眠植物のようだ。なにひとつ考えがまとまらずに、夜の光のもとで、頬杖をついて、ぼんやりと、あなたの素足を眺めている……

              
 わたしはそれから、ほとんどしゃべらなくなった。憂鬱の虫が脳を食い荒して、ぐちゃぐちゃとかきまぜてしまった。妻が身体を拭いているのか、姉が便をとっているのか、玲が尿を吸っているのか…わからなかった。ときおり、下半身に走る不快な感覚は、姉が、妻が、玲が、父のものだったわたしのペニスを口にして、笑っているんだろうと思った。姉と玲の楽しげな会話も、沈黙も、すべてわたしの記憶をかきまぜていった。
 
 母がわたしの頬を両手で挟んで、「道緒ちゃん…おきて」と言った。
 父がわたしの髪の毛を引っぱって、からかうように、笑って言った。
 「道緒、こっちにおいで」
 わたしは素直だった。母の言うこともよく聞き、父の言いつけも守った。伯母も、わたしの靴下を脱がして、足の爪をやすりでといで、ペディキュアを塗って、いたずらっぽく、「ほら道緒ちゃん、きれいでしょ」と言った。確かに綺麗になった。足の爪にブルーを塗って、手の爪には白を塗った。本を読むときに、それを眺めては、美しい爪だと思った。
 母が部屋に駆け込んできた。「お父さんが、お父さんが…」
 伯母も駆け込んできて、「弟が…弟が…」
 ふたりで抱きあって、泣いていた。わたしは「どうしたの?」と心で言った。
 「父さんが死んだの」「弟が、死んだの」…「え?…そこにいるじゃない」わたしは、指差した。壁にくっきりと父の血の痕があった。「ほら、そこに」。わたしの指差す天井に、父の顔が映っていた…
 「あれは…あれは…」母が恐怖にゆがんだ顔で叫んで、「あれは、わたしが殺ったの!」「あれはわたしがさせたの!」伯母もいっしょになって、指差した。
 …わたしは意味がわからなかった。いや、すべて理解していたのに、わかることを、知ることを、拒絶していた…

 眼が覚めた。
 姉が玲と並んで座って、わたしを見おろしていた。
 「ひどい汗ね…夢を見たのね…」姉がわたしのひたいの汗をぬぐった。玲はわたしの手を握っていた。病室でまるで、危篤者を見守るように…わたしは身体を起こした。ものすごいスピードで上半身をベッドに立てて、
 「父を殺したのは、母と伯母なんだ!」そう叫んだ。
 姉と玲は顔を見あわせた。まるですべて知っていて、いまさらなにを言ってるの?という顔をしていた。
 「こいつはぼくの妻なんかじゃないんだ!」わたしは姉を指差してまた叫んだ。
 姉と玲は、すべてを知っている? ふたりともぐるか?わたしは疎外感で満たされた。二対一だった。だれもわたしを信用しなくなっていた。
 「ほら、あの穴から父がのぞいてるぞ!」わたしは証拠を突きつけようと、背中側の壁を指差した。ふたりはそっちに顔を向けた。昔の壁の穴はすでに塞がれていた。わたし自身が塞いだのだ。なんだかむなしくなって、再び横になると、天井が回りはじめた。シャンデリアの光に浮きあがる黒い銀河が波打って流れ出した。わたしの身体にそれが降りそそいだ。わたしはひとつとして、それを浴びてはならないと感じて、けんめいにそれらを振り払った。しかし、あまりにも大量の星は、わたしの身体をみるみる包んで、黒こげの死体のようにした。
 
 まばたきをすると、ふたりがわたしの身体を押さえつけていた。姉がわたしの腕を、玲がわたしの脚をつかんで、のしかかっていた。姉の乳房は、わたしの胸にあった。玲の髪の毛は、わたしの股間を被っていた。わたしは脱力した。ようやくふたりも力を抜いて、わたしから手を離した。
 「夢を見ていたのね…」姉がまた言った。夢ではないことを伝えたかったが、まるでことばと声を失ったわたしは、泪を溢れさせるばかりだった。
           
 空気が水飴のように思える。甘く溶けた熱風のなかで、頭はすでに回転を中止して、あなたの幻影の膜を、ぼくのあらゆる心の溶液が滲みでる穴にかぶせた。しかし、とめどもなく滲みでるにごった水晶色のそれは、あなたの顔の部位をその表面にそれぞれ引き伸ばしながら、垂れていく。もはや、ぼくのすべてが融けて、床のうえに染みになる日も近い。あなたとともに融けるのであれば、それもいいではないか。このねばねばの水飴のなかでは、すべてが考えもなく、地に粘りついているように見える。いろいろの音がしているけれども、どれも特徴のないどんよりとした響きで、奇怪に青い天空へ滲みだす。ぼくはすでに眼を閉じて、ある種の羽音を聞きわけていた。それは、ぼくの耳のなかで呻く歯車の軋みにも似て、ぼくの頭をますますゲル化した。一定の間隔で鳴るその羽音は、あなたの睫毛がまばたきする音にも似ていた。そのことを思い出すと、たちまち、ぼくの脳みそは揺れて、さらさらの液体へ急変した。しかし、ふたたび、自身の呻きに掻き消されて、白濁のゼラチンとなった。そして、もはや頬を手のひらでささえなければ、ぼくの首はずり落ちてしまいそうだった。あなたのくちびるの開くのを、そうやって待っていなければならない。ぼくの心は、はたしていつまで持ちこたえられるか、予測すらできないほどに、飽和し、澱んでしまった。
  
      
 姉が門の所まで出迎えていた。車が止まると、姉は門柱に手をかけて、わたしの登場を胸を熱くしながら待っていた。わたしは、その心がすべて読めた。家に近づくにつれ、姉のそばに近寄るにつれ、姉の心がわたしの心に映った。
 「道緒ちゃんおかえり」姉の手がわたしに伸びてきた。
 姉の呼ぶ名は、わたしの名前?…こんなことが、まえにもあったかしら?
 「姉さん…ごきげんよう」
 ベッドのまま移動しながら、わたしたちは手を握りあった。
 玄関までのカーヴした道は、無数のカモミールで埋め尽くされていた。
 わたしの手にそっと、姉はその白い花をつぶしながら、落とした。わたしはその匂いを嗅ぎながら、姉に微笑んだ。
 
 あの部屋にベッドは置かれた。姉のベッドもそのままだったので、二つのベッドが父の部屋に並んだ。
 姉は元気そうに見えた。身体もふっくらとして、顔の色も桃色を含んでいた。
 「道緒ちゃん、逢いたかった…」
 「姉さん、ぼくも…」
 だれもいなくなった父の部屋で、ふたりはベッドの上で抱きあった。泪がこぼれた。いや、こぼれたように思えた。姉が泣いていたのだ。姉の身体は震えていた。雨に濡れた小さな動物のように震えていた。わたしはもっと強く姉を抱きしめた。
 「くっくっくっ…」
 「…」姉は泣いていたのではなかった。笑いをこらえていたのだ。
 …こんなことが前にもあった?…わたしの記憶が揺れた。
 姉はわたしの股間をやさしく撫でた。わたしも姉の股間を撫でた。ああ、この素敵な空間、この匂い、この暗さ。この部屋はわたしたちの居るべきもっとも最適の場所なのだ…
 
 
 こんどは姉がわたしを介抱してくれた。わたしが姉にしてやったとまったく同じように、排便も、食事もわたしのために心を尽くした…身体も丁寧に拭いてくれた。そしてときどき、わたしのペニスを口で綺麗にしてくれたんだ…父のやり方とはぜんぜん違う。父のは儀式だった。姉は心だった。心でわたしのペニスを包んだ。
 
 時計の音がする。
 なにかを刻む音だ。
 時ではない、他のものを切り刻む音だ。
 「時計はどこ?」姉に尋ねた。
 「時計なんて、置いてないよ」
 「でも、時計の音がする…」
 「そう?…気のせいよ、きっと」
 わたしは信じなかった。姉のことばには嘘があった。確実な嘘が。
 わたしたちは、ことばを交わすと嘘になった。心を読むほうが真実なのだ。
 「…」姉がふたたびわたしの可愛いペニスを口に含んだとき、扉が開いて、人が入ってきた。
 「あっ」と小さく叫んで、ふたたび扉を閉めた。
 「…だれ?」姉に聞いた。
 「あの人よ」
 「あの人って?」
 「玲さん…」

 わたしは打ちのめされた。そんなことがあるはずがなかった。彼女がうちにいるなんて、ありえないことだ。わたしはもういちど尋ねた。
 「いまのだれ?」
 「だから、鵜沓玲さんよ」姉はなにごともないようにやさしく答える。
 「…なぜ?」
 「わたしがお呼びしたの」姉は顔色ひとつ変えず答えた。
 「だって…」
 「薔薇の花が、今年はほんとに綺麗に咲いたの、だから道緒ちゃんが約束していたでしょ、お呼びするって…だからわたしが、玲さんにお手紙書いて…夫は入院中だけど、もう少ししたら退院できそうなので、薔薇を見にいらして、と…」
 「夫?」
 「そう夫、道緒ちゃんはわたしの夫なの」
 「…」頭がぐるぐる回りだした。わたしと姉が夫婦?

 …そうだ、この計画にはまだ続きがあるんだった。
 わたしは無言になり、窓のほうを向いた……ま、夫婦だったら、昼間からいやらしいこともするだろうと、彼女は思っただろうか…でも、わたしに妻がいるともいないとも、なにも話していないし、でも、当然に、独身として文通もし、以前逢ったときも、だれも彼女に紹介しなかったし、わたしたちは片想いを脱していたはずだった…

 ああ、姉はなにを考えているんだろう。わたしは、彼女にはもう逢えないと思った。
 ドアがノックされた。
 「麗紗さん…先ほどは失礼いたしました」ドアの向こうで、彼女の声がした。
 「どうぞいらして、玲さん」姉が言った。
 彼女が部屋へ入ってきた。

 彼女は長い髪をソバージュにしていた。以前と、またあの写真とは印象が違っていた。その縮れた髪の毛を、顔の片方に垂らしていた。
 わたしのそばに近づき、窓側へ立った。初夏の薄いドレスは、透きとおって、下着がうっすらと見えた。
 「道緒さん…おじゃましています…お身体の具合はいかがですか」
 とても彼女は自然だった。姉が、いや妻がわたしの下半身を愛撫しているのを見た後とはとても思えないほど、自然な笑顔だった。
 「ええ…」わたしは彼女の眼を、まともに見ることができなかった。
 彼女は、その宝石の眼で、姉とわたしを交互に見ながら言った。
 「ほんとうに奥様にはお世話になりましたの…お庭の薔薇をたくさん描けましたのよ…道緒さんにお見せしたいと…」
 「玲さん、それがいいわ、夫に絵を見せてあげて」
 「…」わたしは今は見たくなかった。夫のわたしは、妻の姉を見ることも、彼女を見ることもできずに、ただ天井の黒い星を数えるしかなかった。頭のなかでなにかが沸騰していた。冷たく沸騰していたんだ。液体になった心の塊が、わたしの支配の及ばないところでぶくぶくしはじめ、泡が底から上がってくるたびに、はじけて、濁った乳色をした気体を吐き出した。