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michianri

Author:michianri
せつない 想い…
つたない ことばたち…
やりきれない 心…

『詩片日記…薔薇園…片想い』

第一章『詩片日記』
surrealiste
 hypochondrie
    ~prologue
       灰川道緒

第二章『薔薇園』
     
       鵜沓 綾

第三章『片想い』

       野川美千夫  

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(c) 片想い…
design by Echizen
photo by mizutama

せつない ラヴレター つたない ことば やりきれない 日々… 


        
      『儀式』
 ある日、姉の身体を拭いてやっていた。閉めきった窓のカーテンの隙間から、西日が漏れて、床に緋褪色の帯をつくっていた。姉の身体は、白くなめらかで美しいと、いつも拭きながら思った。ベッドの上で過ごすせいで、やや痩せてはいたが、まだ女のまるみを十分に保っていた。でも、ひとつ欠点を挙げるとすると、このケロイドだった。とくに乳房の周辺と、背中、そして…
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          *
わたしは残された父のノートを見た そこには附記が 綴られていた…
しかし 走り書きのために 解読するのに 時間を要した
                         
                                                          りょう 記す
          *
…日記はここで終っていた この父の日記が再開されたのは 数年後の
7月1日からだった…
         十月十九日
 姉がなにか言っているのが聞こえた。
 唇が動いていた。
 「おさえて…」
 おさえてと言っているようだった。
 手首を押さえてくれと、言っているのだ。
 ぼくは、はっとして、姉のそばに駆けより、手首を押さえた。姉は微笑んで「ありがとう」と言う眼をした。姉の敷いていたシーツで腕をきつく縛り、もう一方の腕も、反対側のシーツで縛った。姉は終始笑みを浮かべて、ぼくのなすことをじっと見つめていた。そうされるのが、嬉しいかのごとく。

 主治医に電話したが、留守だった。看護婦に来てくれるよう頼んだが、そっけなく、一言でことわられた。

 人の傷口を、針と糸で縫うなんて、ぼくの、たぶん短いだろう一生でも、これっきりにしてほしかった。
 ひと針ひと針、肌を針が貫通するたびに、そして、糸がその皮膚の穴をすべっていくたびに、ぼくの腕にも痛みが走った。意外と人間の皮膚は丈夫だった。かなりきつく縫っても破れることはなかった。
 消毒液の臭いが鼻を衝いた。姉は、痛みはないのだろう。腕を縫っているあいだ中、何も言わないし、一度も呻かなかった。ただ、足の指が奇妙な方向へ曲っていた。
      
……………
         十月十四日
 ある日、姉の眠っている間に、陰毛をすべて剃ってやった。姉の身体に掛けてあるシーツを下からめくり、下半身を露出させ、慎重に、冷たいジェルをつけながら、生まれたてのようにしてやったんだ。便や尿をぬぐうのに、都合がよかったし、シーツの上に陰毛の散らばるのが、ぼくには我慢できなかった。
 肛門のまわりを剃るときに、脚をひろげて立てた。いったい姉は今、どんな夢を見ているだろうか。姉もずっとひとり身で過ごしてきた人だけれども、ひとりの男にも、この生殖器を与えることはなかったのだろうか。一度も女の喜びも、苦しみも、この部分で味わうことなく、朽ちていくのだろうか…ああ、あの人の下腹部はどんなだろう…どんな色をしているだろう…どんな匂いをさせているだろうか…
 「ありがとう…道緒ちゃん」
 ぼくは、すんでのところで、剃刀を止めた。よっぽど、生殖器の一部を切り落とすところだった。少し血が滲んでいた。
 「ありがとう…綺麗になった?」
 「うん…起こしてごめんなさい」
 「いいのよ…いつもよくしてもらって、感謝してる」
 「……」
 ぼくは、姉の血の滲んだところを、そっと嘗めてやった。

 それから数ヶ月が過ぎて、遠くの山の稜線に白い雲が湧きあがる夏の日、姉が壊れた。また病気が降りそそいだのだ。
 この暑さで、脳も融けるかと思われるような朝、窓を開けることを嫌う姉の部屋は、熱風が澱んでいた。そのなかで、姉はしきりに自分の腕に、爪を往復させていた。ぼくがやすりで綺麗に整えてやっていた、その爪で。姉の爪はぼくが惚れぼれするほどに形がよく、本を読むときにページを押さえながらながめられるように、マニキュアまでも塗ってやっていた、その爪で。
 すでに血が噴き出していた。白いマニキュアは赤黒く染まり、いくすじも手首に血がしたたり、シーツの上には、赤い水玉が増殖していた。
 ぼくは、一瞬、いや数分?数時間?それを眺めていた。今の姉は、ぼくの存在を考えていないし、眼のなかにこの姿が入ったとしても、いつもの風景、姉の頭で作られた部屋の景色とちっとも変らなかっただろうから、ぼくはそこにいないものとして、または、ずっとそこにあったものとして、その場に存在していた。
 血はますます噴き出し、姉の唇のまわりにも飛び散っていた。姉の眼を見た。いつものように、どこか遠くの空を見るように、果てしない深さを宿していた。
       
…想い出させる
    
聞こえてくる やさしい心の風は あなたの閉じられた瞼のなかで 眠る ぼくを… 
      
美しい文字が あなたの唇に消えていった
裏側でぼくは その唇の動きをさぐった
あなたが微笑むまに ぼくは 泣かなければならないから
あなたが唇を 噛んでいたなら ぼくは そっと笑みをうかべて
すてきな泪を 吸わなければいけないから 
        十月六日
 古いタイプの薔薇というものは、その多くは首が弱く、雨の日はいっせいに地面に顔を向けているものだ。花の中心を護るために…そんな雨のなかを、数輪の薔薇を切り取るために庭へ出ていたぼくは、雨の降り来る方向を見ようと、天を仰いだそのとき、窓に姉の姿を見たような気がした。いつもカーテンを引いているので、ぼくの見間違いだったのかもしれないけれど、こちらを見ている姉の視線を感じた。
 寝たきりの姉が、起き上がってくるはずもなく、光を嫌うものだから、窓からいちばん遠くにベッドを置いていて、もしも杖を使って歩いたとしても、その距離は今の姉にとって、永遠とも思われるものに違いなかった、とぼくは考えていたから、きっと、いつも姉の寝姿をあわれだと心の奥底で思っているぼくの幻想にすぎなかったのかもしれない。
 姉の好きな薔薇を数本切って、鼻にあててその香りを嗅ぎながら玄関を入った。そして、ナーシングチェアに座り、いっときのま、花の香りを楽しんだ。
 
 この椅子は、ぼくと姉が母の胸にとりすがり、母とともに多くの時間を過ごした場所だった。今は、玄関に置いてあるけれど、ここに座ると、母の匂いがし、母のあたたかさを想い出し、母のやさしさにつつまれた…ふと下を見ると、椅子のそばに手紙が落ちていた。出るときはまるで気づかなかったんだ。ひろいあげると…彼女からの手紙だった。ほんとうは、その手紙が眼に入った瞬間に、彼女からの封書だと、わかった。
 
 手がふるえて、ぼくの身体もふるえた。封がしてなかった。正確に言えば、封の折りかえしは、糊付けされずに封筒のなかに入れ込まれてあった。いやな予感がする。すぐにでも読みたいけれども、今すぐに読むことも躊躇させるような、予感がした。
 「道緒さん…」姉の呼ぶ声がする。
 ぼくは手紙を胸の内ポケットにしまい、姉の部屋に入った。
 薔薇をグラスに生けて、姉のそばのチェストの上に置いた。いい香りがした。雨の日は特に花のなかに香りがくぐもって、湿った空気を伝って、強く香ってくるような気がする。
 「いい香りね」
 「うん…」姉の顔のそばに、薔薇の花を近づけてやった。
 雨の雫が、姉の白い首に落ちた…ああ、あの人の首、あの白くかがやくような、えりあし…
 「この薔薇の名は、なに?」
 「…ラ・セデュイザーント」…あの薔薇、彼女と出遭った薔薇の木…
 …自分の人差し指を見ると、この薔薇の鋭い棘に刺され、血が丸く滲み出ていた。その血をぼくはじっと見つめていたのだろうか。姉がぼくの手をとって、その指を口に含んだ。なまあたたかい舌が、指を這った。
 「ありがと…」
 「いいのよ、わたしのために雨のなかを、薔薇を切ってきてくれたんだもの…」
 姉の眼は、ぼくの眼を見ずに、別のところを見ていた。なにもない、別のところを。

 いつものように、姉の尿をとってやり、ぼくは尿瓶を持って部屋を出ようとした。
 「ねえ、道緒ちゃん…」
 「なに?」
 「これが落ちていたわ」
 「……」あの手紙が、姉の手のなかにあった。
 「どなた?」
 「え?…ともだち」
 「そう、綺麗な字を書く方ね」
 姉の手から手紙を受け取りながら、ぼくは、尿瓶を持つ手が震えるのを感じた。もちろん一瞥すれば、宛名も差出人の名も、字体も、封筒の匂いも、わかった。
 ぼくの後ろ姿は、どんなふうだったろう。姉に聞くまでもなく、姉の眼の色を感ずれば、見えるはずだった。